「AI導入」と「広告」であなたを次のステージへ届けたい。
質問です。
“あなたの物語”はありますか?
はじめまして。
福岡県久留米市で「株式会社ライムツリー」という会社を営んでいる、柳田国彦(やなぎだくにひこ)と申します。
今の僕は、「広告」と「AI導入」という二つを軸に仕事をしています。
私たちが提供するのは、単なる代行ではありません。
ビジネス変革を推進する包括的なデジタル戦略です。
ホームページやLP(ランディングページ)を戦略的に構築し、SNSやネット広告運用を組み合わせて集客を多角的にサポートする。
さらに、2025年2月からは、AIを現場で本当に“使える形”にするためのコンサルティングを本格的に始めました。
私がお手伝いしたいのは、福岡を拠点とする士業の先生方です。
ご自身の「生き方」そのものをブランドの核とし、信頼と共感で選ばれる集客を構築します。
AIでルーティン業務を効率化し、先生の時間を創出。
お客様との対話や技術の研鑽など、「人にしかできない仕事」に集中できるよう支援します。
現場を訪ねるたびに感じるのは、多くの方が「自分たちの物語を言葉にする余裕がないまま、毎日が過ぎている」という現実です。
だからこそ僕は「物語のある集客」と「AIで生産性が高まる現場」をセットでつくりたいと思っています。
ここから先は、そんな想いがどこから生まれてきたのかをたどる、
ひとりの男の「ブランドヒストリー」です。

インキの匂いと飲み込んだ本音
僕の原点は、父が昭和43年に久留米で創業した、食品パッケージを印刷する「柳田印刷有限会社」という小さな工場です。
自宅の隣が工場で、インキと紙と油が混ざった匂いの中で育ちました。
僕には姉がいますが、長男である僕に対しては、幼い頃から「この子が跡取りである」という空気が家庭内に濃く漂っていました。
父は仕事に対しては真面目な職人気質でしたが、家では厳格そのもの。
「男はこうあるべきだ」という強い理想像があり、その理想に届かない僕は、いつも父の機嫌をうかがいながら暮らしていました。
一方で、母は感情の起伏が激しい人でした。
機嫌を損ねると外出先で僕を残して先に帰ってしまうこともあれば、僕が良い成績を取ると自分のことのように近所に自慢する。
「次はどうしたら、お母さんは機嫌よくいてくれるだろう?」
母の顔色をうかがいながら、常に先を読んで準備をする。
こうして僕の中には、「相手の顔色を見て、本音を飲み込むクセ」と、「常に先読みし多方面に準備するクセ」が静かに育っていきました。
そんな窮屈な日常から、何度も僕を救ってくれたのが「旅」でした。
高校2年生のとき、丸3年かけてパーツを買い集め、自作した自転車。
その相棒を片手に、電車で金沢へ向かい、
そこから自分の脚だけで能登半島を一周し、
大阪まで走り抜ける2週間の旅に出ました。
海岸線の風、知らない町の匂い、峠を越えたときの達成感。
ペダルを踏むたびに、「自分で決める」ことの楽しさと責任を感じました。
そこには、ただ一つのルールしかありません。
「自分で決めて、自分で責任を取る」
この感覚が、僕にとっての「自由」でした。
「二代目」のレールを外れて
高校を卒業するとき、
僕は「この家を出て自由に生きたい」と東京の大学への進学を決意しました。
家を出る朝、玄関で荷物を持ち、両親に向かってこう告げました。
「家業は継がない。自分の道を行きます。」
東京での日々は、初めて手にした自由を謳歌する時間でした。
同時に、人が集まる場所では自然とリーダー役を任されるなど、
自分の中に眠っていた「人を動かす力」が少しずつ芽吹き始めていました。
埋もれた技術とお客の悩みをつなぐ
大学卒業後、DIC(大日本インキ化学工業)に入社。
営業として配属された名古屋支店で、
僕は研究者たちと話しているうちに、あることに気づきました。
「恐るべき技術なのに、日の目を見ていない開発」がたくさんある。
理由はシンプルで、
その技術をどう展開し、どんなお客さんのどんな課題に使えるかを考える営業がいなかったからです。
僕は、研究者から聞いた技術の話と、
お客さんから聞いた「お困りごと」を頭の中でつなぐようにしていきました。
ある時、他の素材で使われていた難燃化技術を、
主要顧客の脱塩ビシートに応用できないかと考え、
研究者たちと一緒に開発を進めました。
そして、厳しい難燃テストに見事合格。
その吉報を、すぐに電話で伝えました。
受話器の向こうで、研究者の小島さんは電話口の僕にではなく、
背後にいるチームの仲間たちに向かって、静かにこう言ったのです。
「おい、みんな……売れたぞ。」
その一言には、何年も研究室で戦い続けてきた男たちの、
魂が震えるような喜びが詰まっていました。
技術が、ちゃんと現場とつながった。 モノを売るだけが営業ではない。
相手の話を聴き、現場の本音を受け止め、一緒に解決策を探る仕事なんだ——。
そんなふうに営業という仕事を感じ始めたのは、この頃でした。
父の死と、社員との溝、そしてV字回復
仕事での手応えを感じ、東京本社への栄転が決まった矢先のことでした。
母から電話がありました。
「お父さんが倒れた。緊急入院。このままだと会社はたたむしかなか。」
ようやく掴み取った自分自身の人生。
葛藤の末、
「ここで戻らなかったら、一生自分を責め続けるかもしれない」という思いから、
僕は「戻る」という決断をしました。
久留米に戻り、家業を継ぐ道を選んだ僕を待っていたのは、
歓迎ムードではありませんでした。
正直に言うと、社員のほとんどが“敵”に見える状態でした。
「お客さんのところに行くのが仕事やない。俺らと一緒に汗流すのが仕事や」
彼らにとっての「仕事」とは、印刷機を回し、現場で汗を流すこと。
営業で仕事をつくってくる僕は、
「現場で汗を流さない余所者」として、激しい拒絶に遭いました。
久留米に戻ってから約一年半後、父は亡くなりました。
「この会社を、ここで終わらせるわけにはいかん。もう守る人間は、自分しかおらん。」 そう覚悟を決めて、僕はデザインやデジタルの勉強を始めました。
夜、社員たちが帰ったあとの工場で、
独学でスキルを身につけ、飛び込み営業を重ねました。
「印刷だけ頼まれる下請け」から、「相談してもらえる相手」へ。
その積み重ねにより、久留米に戻ったとき6,000万円だった年商を、
数年で1億8,500万円にまで急成長させました。
3年連続の入院──「このままじゃいかん」
数字だけを見れば成功でした。
しかし、これほどの数字を叩き出しても職人さんたちの意識は変わらず、
社内の溝は埋まりません。
表と裏のギャップが、僕自身をじわじわとすり減らしていきました。
その結果、38歳の年を境に、3年連続で入院を繰り返しました。
三度目の入院のとき、病室のベッドで天井を見つめながら、
ふと心の中で言葉がこぼれました。
(このままじゃ、いかん。)
このままのやり方、このままの自分で走り続けたら、
会社も、自分の人生も、どこかで本当に壊れてしまう。
土台となる「自分自身」が歪んだままでは、
どんなに売上を上げても、どこかで必ずひずみが出る。
ここで変えなければいけない。
自分自身の心の中を見つめ直す中で、姉と話をしました。
姉は、あの厳しい家庭環境を共に生き抜いた唯一の共有者です。
姉はこんなことを言いました。
「あなたは、お父さんにとても似ているよね」
あんなに反発していた父に似ている?
僕の拒絶を包み込むように、姉は続けました。
「お父さんはね、お客さんのところに行ったら、
お客さんの困っていることを何時間でも聞いてくる人だったよ。
効率は悪いかもしれないけど、そのおかげで信頼されてたんだよ」
その話を聞いたとき、僕の中でバラバラだったパズルのピースが、
一気に繋がったような感覚を覚えました。
お客さんのところに行って、まずは話を聴く。
僕が「自分の足で見つけ出した武器」だと感じていたスタイルは、
実は父から受け継いだものだったのです。
さらに、母からは「人の感情の機微を敏感に察する感性」や、
「常に先読みし多方面に準備する力」を受け継いでいることにも気づきました。
あの親のもとで育ったからこそ、今の自分のスタイルがある。
おかげさまで、今こうやって人の悩みに寄り添う仕事ができている。
「あれはあれで、よかったのだ。
だから今の自分がいる。
そして、これからきっとうまくいく。」
そう捉え直すことで、僕は父と母との因縁から自分を解放し、
「柳田国彦」という一人の人間としての輪郭を取り戻していきました。
株式会社ライムツリーへ
食品パッケージを作る仕事は、
次第に「どうやって知ってもらい、どうやって選ばれるか」という
Webや集客の相談へと広がっていきました。
モノをつくる会社から、売れる仕組みをつくる会社へ。
2024年12月、僕は社名を「株式会社ライムツリー」に変更しました。
ライムツリーとは、菩提樹(ぼだいじゅ)のこと。
お釈迦様がその木の下で悟りを開いたとされる木です。
ただそこにあることで、人が集まり、ホッとできて、もう一歩先を考えられるようになる。 経営者のそばで、そんな菩提樹の木陰のような存在でありたい。
そう願ってつけた名前です。
「福岡×士業×AI」という新しい挑戦
そして2025年2月。
僕は、これまでやってきた「集客」と「仕組みづくり」に、
AIの導入支援という大きな軸を重ねました。
AIを使えば、リサーチやアイデア出し、議事録の整理などが瞬時に終わります。
それは単なる効率化ではありません。
これまで「時間と気力」を削って行っていた作業をAIに任せることで、
僕はもっと深いレベルで「お客さんの未来」を考える準備ができるようになりました。
僕にとってAIは単なるツールではなく、自分の思考を深めてくれる最高のパートナーです。
この力を、福岡の士業の先生方にこそ使ってほしい。
事務的な作業や定型的なやり取りをAIに任せることで、
先生にしかできない「深い対話」や「専門的な研鑽」といった、
核となる仕事に集中してほしいのです。
AIという「速く、正確な翼」で効率化し、
ライムツリー(木陰)で人間らしさを取り戻す。
それが、僕が提供したい「集客の伴走者」としての価値の正体です。
エピローグ
時代とともに会社の業態が大きく変わったあとでも、
僕の中で変わらなかったものがあります。
それは、人との関係性をつくりたいという気持ちです。
久留米の街が元気になること。
お客さんの挑戦が続いていくこと。
その一つひとつが、
自分の使命につながっていると
改めて感じるようになりました。
ライムツリーが掲げている三つの”旗”。
- MISSION
互いの個性を活かし合い、チームの力で「自分らしく生きる社会」を創る - CONCEPT
10 年先、20 年先の未来をどうひらくか - PHILOSOPHY
人のお困りごとを根っこから解決する
これらは僕のこれまでの人生と、
人との関わりの中から生まれたものです。
そのすべての道のりが、 いまの柳田国彦という人間をつくっています。
次は、 “あなたの物語”を聞かせてください。
その先の「未来設計図」を、AIと集客の力を借りながら、
一緒に描いていけたら、とてもうれしく思います。
株式会社ライムツリー 代表取締役 柳田 国彦