「物語」と「戦略」で
あなたを次のステージへ
質問です。
“あなたの物語”はありますか?
はじめまして。福岡県久留米市で「株式会社ライムツリー」を営む柳田国彦です。僕は、専門性を活かしてもっと多くの「困っている人の力になりたい」と願う志の高い士業の先生方のために、「物語のある集客」と「AI戦略」をセットで提供しています。
僕たちが作るのは、単なるホームページではありません。ご自身の「生き方」をブランドの核とし、本当に必要としている人と出会える仕組みです。2025年からは、AIを市場リサーチや戦略立案の相棒として活用するコンサルティングも本格化させました。
なぜ僕が「物語」と「戦略」にこだわるのか。ここからは、その原点をたどる、ひとりの男の「ブランドヒストリー」です。

インキの匂いと飲み込んだ本音
僕の原点は、父が昭和43年に久留米で創業した、食品パッケージを印刷する「柳田印刷有限会社」という小さな工場です。自宅の隣が工場で、インキと紙と油が混ざった匂いの中で育ちました。僕には姉がいますが、長男である僕に対しては、幼い頃から「この子が跡取りである」という空気が家庭内に濃く漂っていました。
父は仕事に対しては真面目な職人気質でしたが、家では厳格そのもの。「男はこうあるべきだ」という強い理想像があり、厳しく指導されました。しかし、その理想に届かない僕は、いつも父の機嫌をうかがいながら暮らしていました。
一方で、母は感情の起伏が激しい人でした。「次はどうしたら、お母さんは機嫌よくいてくれるだろう?」母の顔色をうかがいながら、常に先を読んで準備をする。こうして僕の中には、「相手の顔色を見て、本音を飲み込むクセ」と、「常に先読みし多方面に準備するクセ」が静かに育っていきました。
そんな窮屈な日常から、何度も僕を救ってくれたのが「旅」でした。高校2年生のとき、丸3年かけて新品のパーツを買い集め、自作した自転車。その相棒を片手に、電車で金沢へ向かい、そこから自分の脚だけで能登半島を一周し、大阪まで走り抜ける2週間の旅に出ました。海岸線の風、知らない町の匂い、峠を越えたときの達成感。ペダルを踏むたびに、「自分で決める」ことの楽しさと責任を感じました。そこには、ただ一つのルールしかありません。
「自分で決めて、自分で責任を取る」
この感覚が、僕にとっての「自由」でした。
高校を卒業するとき、僕は「この家を出て自由に生きたい」と東京の大学への進学を決意しました。家を出る朝、玄関で荷物を持ち、両親に思い切ってこう告げました。
「家業は継がない。自分の道を生きます。」

埋もれた技術と
お客さんの悩みをつなぐ
大学卒業後、DIC(大日本インキ化学工業)に入社。営業として配属された名古屋支店で、僕は研究者たちと話しているうちに、「恐るべき技術なのに、日の目を見ていない開発」がたくさんあると気づきました。
「その技術をどう展開し、どんなお客さんのどんな課題に使えるか」
僕は、研究者から聞いた技術の話と、お客さんから聞いた「お困りごと」を頭の中でつなぐようにしていきましたある時、僕は別の用途で使われていた素材を、別のメーカーの課題解決に応用するよう提案しました。研究者たちと試行錯誤を重ね、厳しいテストに合格した吉報を伝えた時、研究担当の小島さんが仲間に言った震える声を、今でも忘れられません。
「おい、みんな……売れたぞ。」
技術が、ちゃんと現場とつながった。モノを売るだけが営業ではない。相手の話を聴き、現場の本音を受け止め、一緒に解決策を探る仕事なんだ——。

父の死、社員との溝、
そしてV字回復
仕事での手応えを感じ、東京本社への栄転の話を上司からもらった矢先。母から電話がありました。
「お父さんが倒れた。緊急入院。このままだと会社はたたむしかなか」
ようやく掴み取った自分自身の人生。入社以来、望み続けていた東京本社への切符が目の前にある。でも、実家のピンチをこのまま見捨ててしまっていいのか。
「ここで戻らなかったら、一生自分を責め続けるかもしれない」
葛藤の末、僕は「戻る」という決断をしました。久留米に戻り、家業を継ぐ道を選んだ僕を待っていたのは、歓迎ムードではありませんでした。
「お客さんのところに行くのが仕事やない。俺らと一緒に汗流すのが仕事や」
社員にとっての「仕事」とは、印刷機を回し、現場で汗を流すこと。
仕事は向こうから勝手にくるのに、営業と言って会社を空ける僕は、「現場で汗を流さない余所者」として、激しい拒絶に遭いました。
久留米に戻ってから約一年半後、父は亡くなりました。
「この会社を、ここで終わらせるわけにはいかん。もう守る人間は、自分しかおらん。」
そう覚悟を決めて、僕は独学でデザインやデジタルの勉強を始め、飛び込み営業を重ねました。 「印刷だけ頼まれる下請け」から、「相談してもらえる相手」へ。その積み重ねにより、久留米に戻ったとき6,000万円だった年商を、数年で1億8,500万円にまで急成長させました。

3年連続の入院
「このままじゃいかん」
数字だけを見れば成功でした。しかし、これほどの数字を叩き出しても、「あいつを食わせてやっているのは俺たちだ」という社員たちとの溝は埋まりません。僕が一人で走り、成果を上げれば上げるほど、現場との空気は冷え切っていく。「自分一人で守っている」という傲慢さが、一番大切にすべきチームの絆を壊していたことに、当時の僕は気づけませんでした。
表と裏のギャップが、僕自身をじわじわとすり減らし、38歳の年を境に、3年連続で入院を繰り返しました。三度目の入院のとき、病室のベッドで天井を見つめながら、ふと心の中で言葉がこぼれました。
(このままじゃ、いかん。)
このままのやり方、このままの自分で走り続けたら、会社も、自分の人生も、どこかで本当に壊れてしまう。土台となる「自分自身」が歪んだままでは、どんなに売上を上げても、どこかで必ずひずみが出る。ここで変えなければいけない。
自分自身の心の中を見つめ直す中で、姉と話をしました。姉は、あの厳しい家庭環境を共に生き抜いた唯一の共有者です。姉はこんなことを言いました。
「あなたは、お父さんにとても似ているよね」
あんなに反発していた父に似ている?僕の拒絶を包み込むように、姉は続けました。
「お父さんはね、お客さんのところに行ったら、お客さんの困っていることを何時間でも聞いてくる人だったよ。効率は悪いかもしれないけど、そのおかげで信頼されてたんだよ」
その話を聞いたとき、僕の中でバラバラだったパズルのピースが、一気に繋がったような感覚を覚えました。お客さんのところに行って、まずは話を聴く。僕が「自分の足で見つけ出した武器」だと感じていたスタイルは、実は父から受け継いだものだったのです。
さらに、母との関係性で培われた「相手の顔色を見て、本音を飲み込むクセ」と「常に先読みし多方面に準備するクセ」。この二つが掛け合わさることで、お客様が言葉にできない本音や、本人さえ気づいていない「感情の機微」を瞬時に察知し、その期待を上回るための「万全の準備」を積み重ねる。
今の僕は、誰よりも深く人の想いを受け止め、誰よりも緻密に未来を設計できるのだと気づきました。
あの親のもとで育ったからこそ、今の自分のスタイルがある。おかげさまで、今こうやって人の悩みに寄り添う仕事ができている。
「あれはあれで、よかったのだ。だから今の自分がいる。そして、これからきっとうまくいく。」
そう捉え直すことで、僕は父と母との因縁から自分を解放し、「柳田国彦」という一人の人間としての輪郭を取り戻していきました。自分自身のことを肯定できるようになると、ようやく周りの景色が違って見えてきました。自分という個の輪郭がはっきりした今、ようやく「一人で戦わなくていい」という当たり前のことに気づけたのです。この「察する力」や「準備する力」は、共に働く仲間が最高のパフォーマンスを発揮できるよう、その環境を整えるためにこそ使えるのではないか。一人ひとりが持つ「物語(強み)」を尊重し、それをチームの力として束ねていく。かつて現場の社員たちと対立していた僕は、ようやく「仲間の個性を活かし合い、チームで挑む」という新しいステージに、一歩を踏み出す覚悟ができました。

モノをつくる会社から
売れる仕組みをつくる会社へ
食品パッケージを作る仕事は、次第に「どうやって知ってもらい、どうやって選ばれるか」というホームページや集客の相談へと広がっていきました。モノをつくる会社から、売れる仕組みをつくる会社へ。2024年12月、会社名を「株式会社ライムツリー」に変更しました。
ライムツリーとは、菩提樹(ぼだいじゅ)のこと。お釈迦様がその木の下で悟りを開いたとされる木です。ただそこにあることで、人が集まり、ホッとできて、もう一歩先を考えられるようになる。 経営者のそばで、そんな菩提樹の木陰のような存在でありたい。そう願ってつけた名前です。
そして2025年2月。僕は、これまでやってきた「集客」と「仕組みづくり」に、「AI戦略」という大きな軸を重ねました。 AIを使えば、単なる効率化だけでなく、膨大なデータに基づいた市場分析や、競合との差別化ポイントの抽出が瞬時に可能になります。これまで「時間と気力」を削って行っていた作業をAIに任せることで、僕はもっと深いレベルで「お客さんの未来」を考える準備ができるようになりました。僕にとってAIは単なるツールではなく、自分の思考を深めてくれる最高のパートナーです。この力を、士業の先生方にこそ使ってほしい。事務的な作業をAIに任せることで余裕を作り、戦略をAIと共に進めることで、先生にしかできない「深い対話」や「専門的な研鑽」といった、核となる仕事の価値をさらに高めてほしいのです。

ライムツリーの使命
時代とともに会社の業態が大きく変わったあとでも、僕の中で変わらなかったものがあります。それは、人との関係性をつくりたいという気持ちです。地域が元気になること。お客さんの挑戦が続いていくこと。その一つひとつが、自分の使命につながっていると改めて感じるようになりました。
ライムツリーが掲げている三つの”旗”。
- MISSION
互いの個性を活かし合い、チームの力で「自分らしく生きる社会」を創る - CONCEPT
10 年先、20 年先の未来をどうひらくか - PHILOSOPHY
人のお困りごとを根っこから解決する
これらは僕のこれまでの人生と、人との関わりの中から生まれたものです。そのすべての道のりが、 いまの柳田国彦という人間をつくっています。
次は、 “あなたの物語”を聞かせてください。その先の「未来設計図」を一緒に描いていけたら、とてもうれしく思います。
株式会社ライムツリー 代表取締役 柳田 国彦